小さな影響力の輪の中でゴミを拾うという行為

今日は勇気を出して行動するということについて少し考えてみたいと思います。

「勇気を出して行動する」というとどんなことを想像しますか?

誰かに道を聞く、他人の間違いを指摘する、電車で席を譲る、人の前に立って話をする、好きな人に告白する、ヒッチハイクをするなどなど、ちょっと考えただけでも、勇気の必要な場面というのはいろいろあるわけですが、僕は少し前から「ゴミ拾い」をしています。

「ゴミ拾い?」と思った人もいるかもしれませんが、この道に落ちているごみを拾うという行為はかなりの勇気を必要とする行為であると言って間違いありません。(少なくとも僕にとっては)

なぜ、ゴミ拾いが勇気ある行動なのかと言えば、いざ道に落ちているごみを拾おうとしてみるとよく分かります。ゴミを拾うために身をかがめようとするといろんな思いが頭をよぎります。

「周りの人に変な目で見られるんじゃないだろうか」
「なんかサブいことやってるやつがいるなあと思われるんじゃないか」
「そんなことして何の意味があるんだろうか」
「ちょっとゴミを拾ったからって何も変わらないだろ」
「後ろの人の通行を妨げるんじゃないか」..

と言った具合にゴミを拾わなくてもいい理由はいくらでも出てきます。

実際には、そんなに誰も人のことを見てもいないし何とも思っていないというのが正解かもしれませんが、そういう色々な思いに抵抗して自分がよい行いであると思っているごみ拾いを行うことは非常に勇気がいる行為であります。

僕がゴミを拾う理由は

・単純にそれがいいことだと思うから
 (シンプルに道がきれいになるし、自分もいい気分になる)
・自分がいいと思ったことを行動に移す勇気、精神力を養う
・自分の持てる範囲の中で影響力を行使する

といったものです。

シンプルに考えて、「ゴミを捨てることor道が汚いこと=よくないこと」と思うわけですが、いつからか「ゴミが落ちているのを見過ごす=その状況を許容する」というふうに考えるようになりました。つまり、ゴミが落ちているのを見ても何もしないことは、ゴミが落ちている現状に対してYESと言っていることになるんじゃないかと。つまり、ゴミを捨てるという行為に対してゴミを拾うことでNOを宣言するわけですね。

さすがに道に落ちているゴミを全部拾うわけではありませんが、1人で歩いている時や荷物を持っていない時など、無理のない範囲でごみ拾いを実行するというマイルールを決めて、1日1個はゴミを拾うようにしています。

そして、このゴミ拾いはちょっとだけ道がキレイになるという結果をもたらすわけですが、僕はこのゴミ拾いが、ただ単にちょっとだけ道をきれいにするにはとどまらず、他の人に対しても影響を与える行為だとも思っています。

「僕がゴミを拾っているのを見て他の人もゴミを拾うようになってくれるだろう、、」とはさすがに思いませんが、ある程度確かだろうと思っていることは、僕がゴミを拾っているところをたまたま見てしまった人は、別のどこかで「ごみを捨てちゃおっかな」と思った時に確実に捨てづらくなるだろうということです。

それくらいささやかで微々たる影響力しか今の僕は持ち合わせていないわけですが、今の影響力の輪の中で勇気ある行動が起こせれば、いつかもっと自分の影響力の輪が大きくなった時にもきっと同じように、自分の中にある信念(価値基準)に従って、良いと思ったことをするための勇気ある行動を取れるだろうと思うからです。

 

『7つの習慣』を書いたことで有名なフランクリン・コヴィー博士は、著書の中で「影響の輪の外にある領域を相手にせずに、自分の力でコントロールすることのできるエリアに時間とエネルギーを注ぎ込むことが重要である」と述べています。ただガムシャラになんでもやればいいというわけではなく、私たちの力の及ぶ範囲にあるものに対して意識的に何かを行うことで主体的な生き方を習慣とすることができるのです。

 

 

この話を書いていて、もう1つ、マザーテレサの言葉を思い出したのでそちらも合わせて紹介したいと思います。

彼女は1979年のノーベル平和賞受賞時に「世界平和のためにできることはなんですか?」という質問を受けたのに対して「家に帰って家族を愛してあげてください。」と答えました。

また、1981年に初来日した時にも、「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することです。」といったことを言っています。

 

さて、今のあなたの影響の輪の中ではどんなことができますか?

Have a nice day :)