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歩く速さが違うと人は一緒にいられない

人は皆それぞれ歩く速さが違います。当たり前ですね。でも私たちは普段どれだけそのことを意識しているのでしょうか?
 
デューク更家さんが「いいことがいっぱい起こる歩き方」という本の中で、歩く速度が人間に与える影響の大きさについて次のようなことを書いているので紹介したいと思います。 
 

 

歩く速度と人の相性には、面白いくらいにつながりがあるものだ。たとえば、幼稚園の先生を見ると分かりやすい。小さい子は、歩くスピードものんびりしているし、まっすぐ歩かずに、あっちで寄り道をしこっちで寄り道をして歩くけれども、そんな幼稚園児のそばで一緒に歩いている先生の歩幅に注目すると、やっぱり狭い。のんびりと子供の目線で歩いている。そんな風に歩く速度や歩幅を合わせられるような人でないとこの職業は勤まらない。 
 
全ての人が、小さい子どもの歩くスピードに合わせられるわけではないんですね。それができるのは、幼稚園の子どもに身体の動きを合わせることを苦痛に感じない、むしろ楽しいと思う人だけです。
 
また、歩くスピードに関しては次のようなことも言っています。
 
普段の生活の中でもおじいちゃんやおばあちゃんが孫たちと買い物に行ったりするとお互いに歩くスピードが違うからしんどいものだし、赤ちゃんと歩くことに慣れていないお母さんが赤ちゃんの速度に合わせると、疲れるでしょう。
 
こちらは、読んでいてより実感を持てる人が多いのではないでしょうか。
 
歩くのが速い人が歩くのが遅い人といっしょにいるためには、歩くスピードを合わせてあげる必要があります。
 
これが、1週間〜1ヶ月あるうちのほんの数時間程度で済めば良いですが、例えば、それこそ幼稚園の先生のように毎日大勢の子どもの世話をしたり、高齢の母親について回らないといけないとなればそれは誰もができることではありませんね。
 
「歩く速さ」という一見なんでもないようなことでも「歩く速さが違う」だけでいっしょにいることが難しくなってしまうのです。
 
 
☆☆☆ 
 
 
ここまで、デューク更家さんの話を元に歩く速さの話をしてきましたが、ここで、「物理的な」歩く速さの話から、「精神的な」意味での歩く速さの話へ移りたいと思います。
 
「精神的な」意味での歩く速さとありますが、ここでの「歩く」とは前に進む、つまり「成長すること」のメタファーであり、「歩く速さ」が違うと一緒にいることが難しいように、「成長のスピード」が違う人同士も一緒にいることが難しいのです。
 
小さい子どもと老人が一緒に歩くのが大変なように、毎日自己ベストを更新し続けているAさんと、現状維持でとりあえず満足しているBさん、「あの頃はよかったなあ」といつまでも過去の出来事に囚われているCさんの3人が一緒にいるというのははとても難しいことです。
 
それが不可能なことだとは言いませんが、AさんとCさんが一緒にいるためには、幼稚園の先生のようにAさんがCさんに合わせなくてはなりません。そして、Aさんの尽力によって2人が一定期間交わることはあっても、CさんがAさんのレベルまで到達しない限り、やがて一緒にいることが難しくなってしまう時がいずれ来るでしょう。
 
ただ、だからといってAさんが残酷なわけでも、Cさんが悪いわけでもありません。
 
それは歩く速さの違う人が生きていれば起こる、とても自然で当たり前のことなんです。
 
だから、どれだけ一緒にいたい人でも、隣を歩いた時に、どちらかが小走りしないといけないとか、相手のペースに合わせることをストレスに感じてしまうというようでは、きっとどこかで無理が生じてしまいます。
 
もしあなたがもっと前へ進んでいきたいと思うのならば、自分よりほんの少しだけ速い人と一緒にいるのがベストです。
 
デュークさんの言葉を借りれば、その誤差は、靴幅1個分くらい。