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僕の英語に対するスタンス -番外編-

ーと、前回書いたライティング編で4技能についてのお話も終わったわけなのですが、これまでずっと英語と向き合ってきた中でどうしても気になるトピックがあるので最後にそれについて書いてみたいと思います。

それはよく言われてることなんですが「なんで日本人は英語ができないのか?」的なことです。

というのも僕の感覚からすると、これだけ英語英語と騒がれていても周りを見てると ”別に英語とかできなくても海外に行くわけじゃないしそんなの必要ないかな” みないな人がだいたいかなって気がするからです。英語を勉強するっていっても学校のテストとかTOEICみたいな資格試験のためにって人が大半だねってのが率直な感想なのです。

よく日本と引き合いに出されるアジアの国々はと言えば、(植民地支配なんかの歴史的な背景が違うにしても)彼らにとって英語を使えるか使えないかっていうのはリアルに生活に直結する死活問題だっていうところが日本とは絶対的に違うと思うのです。

「英語ができればチャンスが増える」とか「英語さえ使えれば発展途中の自分の国を飛び出して世界を舞台に活躍できる」って考えてるアジアの国と「世界になんか飛び出さなくても日本って十分快適じゃん」って思ってる日本とでは大違いなわけなのです。これだけ英語に対するマインドが違うんだから、英語のレベルに差ができるのはむしろ当たり前というか、これはもう差ができなきゃおかしいくらいのお話しです。

 

☆☆☆

  

じゃあ日本でもそれだけ危機感がでるように焚き付ければいいのかっていうと、それはそれでちょっと違うのかなって思うんですよね。

政府がどれだけグローバルグローバルって言っても、市場が縮小する中で海外に出れなければ日本に未来はありませんみたいなことを言ってみたって、所詮それをリアルに実感できないうちは「英語勉強しようかな。でも大変だし今勉強しなくてもまぁなんとかなるよね。」みたいなことを思っておしまいです。そして、そんな動機じゃ絶対に英語のレベルなんてあがらないです。

だから、テストだ試験だって言って英語の勉強を強制するよりも、もっとポジティブに英語を勉強する動機付けをしてあげたらいいんじゃないかなって思うんですよ。”必要” だから英語を勉強するんじゃなくて、"楽しい"から、"面白い" から英語を勉強するっていうふうに。

結局は英語を教えるにしても学ぶにしても、その目的が入試とか資格試験くらいのところで止まってるようじゃ、一体それになんの意味があるのかってことになるんですよね。

英語はあくまでも1つのツールにしかすぎないです。なので「ツールを使えるようになる」ことよりも、その「ツールを使って何をするのか / 何をしたいのか」ってことのほうが言うまでもなくずーっとずっと大切です。

実際のところ、僕自身も英語を使って何がしたいってのがはっきり見えてるわけではなくて、それでもただ単純に英語を使えることが面白くて楽しいです。

英語のストレートな物言いとか、聞いてて清々しいくらいのテンポの良さだったり、日本語では言えないことでも英語だったら言えちゃったりするような英語の魅力にすっかり魅入られちゃいました。(もちろん日本語にもきれいで美しくて時には可愛らしくもある表現の仕方だったりとか魅力的なところはたくさんあると思います。)

まぁそんな話は置いておくにしても、英語で音楽や動画を楽しめたり、小説が読めたり、ちょっとしたコミュニケーションが取れるだけで、得することなんてたくさんあると思いますす。

テストや資格ってのはあくまでも目に見えない英語の力っていうのを客観的に測るためのひとつの指標でしかないわけで、テストの点なんか取れなくても、自分の基準で英語を面白く楽しめることのほうが全然大事だよねって思うのであります。

 

★☆☆

 

そしたら次はそのへんのことを国はどんなふうに考えてるのかなってのが気になるとこです。学習指導要領なんかをちらっと覗いてみたら、”コミュニケーションを図ろうとする態度の育成” とか、”聞くこと話すことに加えて読むこと書くことの基礎的な能力を養う” とかっていう素晴らしい目標が掲げられてるじゃないですか。うん。確かに目標自体はほんとに素晴らしいものが掲げられてるのだけれど、一番気になる「じゃぁどうやってそれをやるの?」っていうとこはどうもあんまり触れてないみたいです。

そっちはそっちで別にガイドラインでもあったりするのかな?

それともそういうことは大学で勉強しといてねって?

英語の授業は原則全部英語でやりますって言うくらいなんだから英語での授業はこういう風に進めてくださいねっていう説明とかちゃんとしてるんだよね?

それとも具体的な方法は教師の裁量に委ねますって感じなの?

そんな具合に不思議に思うことはいろいろとあるんだけど、日本の中でもトップクラスに頭のいいはずの人たちが日本の英語水準を上げるためには「全部英語で授業をやりましょう」とか「もっと早くから英語の勉強を始めましょう」ってことでじゅうぶんだと本気で思っているの不思議なんですよね。

中学高校でどれだけ英語を教えても「英語を使えない人」がたくさんいることは仕方のない部分もあるから分からなくもないんだけど、中学高校ってずーっと英語を教えてる割に「英語をちゃんと使える人」が圧倒的に少ないってことはしょーがなくないよね。その辺を考えると今の英語教育ってのはどうもなんだかお粗末様な気がしてしまう。

例えばだけど、スピーチとかディベート、朝読書に英語劇みたいなメジャーなとこから、イングリッシュキャンプとか地域に住む外国の人との交流、語学研修に海外への修学旅行みたいなイベントあれこれを忙しい先生の代わりに企画して補助までしてあげたらいいと思うんだよね。それこそガイドラインみたいな作ってさ。下手したら枠を作ってあげるだけで生徒の方が自主的に動き出すかもしれないし。

まっ専門的な知識もなければ実際の現場を知ってるわけでもない僕が勝手なこと言うだけ言うってのも無責任甚だしいけどね←

 

★★☆

 

もう1つ不思議に思うのは日本人って英語に対する要求とか理想が高すぎるんじゃないのってことです。このブログでも英語に対するハードルがどうのこうのって話はなんどもしてきましたが、取り組み方以前に意識の問題としてハードルを高く掲げすぎなとこがあると思うんだよね。ネイティブの発音がああだとか、この文法がこうだとか気にしてたら英語なんて喋れたもんじゃないです。

だからアメリカ人とかイギリス人の英語を基準にするんじゃなくて、自分の基準を作ってあげることが大事なのかなって。(英語に限らず今まで散々西欧の基準に合わせられてきたのに何も英語の話し方まで合わせる必要は無いとか言ってみたり)

文法も発音もすっごく大事ですよね。それも分かります。その気持ちもすっごく分かるんだけど、そういったものに縛られるくらいならもっと他に気にした方がいいことがあるんじゃないの?そんな簡単にネイティブみたいになれるわけじゃないんだから、まずはそんなことを気にするよりも自分のできる精一杯でがんがん英語使ってかなかったらいつまでたっても英語なんて使えるようになんないでしょーに。

 

★★★

 

はい、言いたいことは大体言ったかなって感じです。

おかげで今回はいつもに増して長くなっちゃいました。

まぁよーするに

死ぬ気で勉強してるアジア勢相手にぬるま湯に浸かってる日本人なんかが敵うはずもないんだから、英語を勉強することが面白いし楽しいって思えるようなポジティブな理由を見つけてあげたり、英語に対する自分なりの基準みたいなものを作ってあげたりしたらいいんじゃないのってお話しでした。そして、周りはそれをサポートしてあげられたらいいよね

っていうことが言いたかったです。

 

なにはともあれこれにて番外編もおしまいです。めでたしめでたし

 

Thank you for reading :)